平成15年度国際インターンシップ派遣の体験記

柳瀬由子

環境科学研究科地域環境・社会システム学コース中東・中央アジア地域研究分野 博士2年


研究課題   湾岸アラブ地域における医療環境の変化―クウェイトの保健医療を事例として
クウェイト滞在期間   2004年2月11日 〜 2004年3月24日
受入機関 クウェイト大学・社会科学部
  

伝統的な医療の様子                       薬草 
 筆者のクウェイトにおける調査活動は、クウェイト大学社会科学部学部長他クウェイト大学の関係者(主に社会学部・人類学部・医師)・教務、クウェイト・イスラーム科学機構・クウェイト・リサーチ・センター、伝統的民間医療師の方々、その他も多くの方々からのご協力を得ながら、無事充実したものとなった。大学は筆者に独立した研究室を貸してくれたが、毎日、筆者の研究室を多くの人々が訪れ、アラブコーヒーを飲みながら長い挨拶と長い世間話を終えて研究の本題に入るというのが日課となった。しかし、こうした彼らとのお喋りが実は筆者の研究の成果となっていたのである。人種のるつぼであるクウェイトにおいて、彼らの一語一句は、彼らの異なった個人的な背景を基にした社会学の講義であったからである。今筆者は、彼ら一人一人の表情と口調を思い出しながら、彼らの語ってくれた諸々の事情を文章にまとめているところである。

 クウェイトの社会は湾岸戦争後、そしてイラク戦争後大きく変容した。石油収入による豊かな生活水準と安全保障は夢となり、国家も市民も現実的になった。アラブ内における協力・相互保障よりも米国の傘下に入る事を選択した事は外部の者からは理解できないかもしれないが、生き残る為の手段である。

しかし、そこには人々の培ってきた伝統との間に大きな乖離と葛藤がある。特に年長者の間では失われた時とロマンを求めて、砂漠のテントや海辺の家に繰り出す場合が多い。筆者も彼らに誘われてそれらの場所に連れて行ってもらったが、かつての遊牧民部族の間で語れられてきた小話・迷信や、真珠採取業を行ったダウ船による航海記を聞かされた。それは遅い昼食の後から始まり、昼寝を通して夜間まで続けられるのであるが、しまいには睡魔が容赦なく襲うなか、筆者の耳には子守唄の様に優しく響き、どこからどこまでが話の真実で創作なのかが分からなくなってしまうのが常であった。

 間違いなく言えるのは彼ら1人1人が才能ある語り部であった。彼らの話をまとめて作品にすればさぞかし卓逸した小説が生まれるであろう。筆者の研究からは逸脱しているが、もし筆者の研究と論文の執筆が完成したらいつか挑戦してみたいと思うほどである。

 彼らの面白さはどこから来ているのか。それは、無論彼らの置かれた環境に関与する。地理的にクウェイトはサウジアラビアなどの隣接した湾岸アラブ諸国をはじめ、イラク、イラン、インド、アフリカ地方と昔から交易活動を通じて多くの人と物が行き来してきたという歴史があり、言語・生活習慣・食物・衣料・香辛料もこうした地域の影響を多く受けてきたのである。
筆者の研究である医療も同様に、これらの地域に根ざした伝統医療が多く輸入され、それが最先端の技術を誇る近代西洋医療と共存するクウェイトの伝統的民間医療師の施す医療形態として現在にも継承されている。それは人々の日常生活にも現れている。伝統的なクウェイト料理・お茶・コーヒーにはふんだんに香辛料やハーブが使用されているが、今やそれらは世界的に注目されている健康食品やハーブの成分に見られるものばかりで、それらの原産国はクウェイトと馴染みの深い国々である。驚嘆すべく多様な文化である。
 「我々にとってはとりわけ研究対象とする程重要でない、全く当たり前の事が、外からの観察者に指摘されて始めて分かる事がある。」こう、カトリーヌ・ド・ヌーヴ似の人類学者が語っていた事が印象的であった。