環境科学研究科環境社会人類学分野 高山陽子

雲南省昆明のサニ人


  
      刺繍工芸品                 雲南民族村の彝族村ショー
 2004年1月から2月にかけて中国西南地区の観光化における様々な「打工」(出稼ぎ)の現状を調査した。個々人の「打工」の事情は多種多様である。今回は、そのうちの一例、雲南省昆明で工芸品を売るサニ人の「阿姨」(おばさん)について紹介したい。
 雲南省の省都・昆明は、急速な開発によって近代的な都市へと変貌しつつある。また昆明は、南部のシーサンパンナや北西部のシャングリラ、中部の大理などのエスニック・ツーリズムの玄関でもある。こうした観光都市・昆明鉱に近郊の石林から「打工」に来ているサニ人女性たちがいる。サニ人とは、人口770万人を超える(2000年統計)彝族の一集団である。
 サニ人女性たちは、多くの外国人(特にバックパッカー)が宿泊する茶花賓館の近くで刺繍などの工芸品を売っている。ただし、こうした工芸品販売は「不合法」(非合法)であり、警察に見つかるとすべてを没収されてしまうほか、場合によっては罰金を払わなければならない。その金額は「不一定」(決まっていない)という。そのため、彼女たちの出勤は日が暮れてからである。夜になると2m四方ほどのシートの上にスポーツバッグの中から財布やポーチ、携帯電話ケースなどを取り出して並べ始める。こうした財布やポーチなどは工場で生産されたもので、価格は非常に安い。とはいっても価格は「不一定」である。一つ10元(約140円)で購入する人もいれば、五つで10元で購入する人もいる。値段交渉が盛り上がってくると、彼女たちはバッグの中から別のものを取り出してくる。これらは自ら刺繍したクロスステッチのテーブルクロスや壁掛けであり、最初に切り出す値段も100元(約1400円)くらいからである。大きなものは2m四方の布一面にクロスステッチで模様が綴られている。これを作るのには約3ヶ月を要する。彼女たちは、自ら作った刺繍を全ての客に見せるわけではない。買う気がありそうな客にだけ見せるのだという。昨晩見せてくれなかったものを今日、見せてくれることもあるし、故郷に帰ればもっと古くていいものがあると話す。
 彼女たちの故郷の石林は、中国有数の観光地である。1982年に国家重点風景名勝区の一つに登録されたカルストの地形であり、1000平方km以上の風景区に延々と石の大海原が続く。80年代に石林の観光化が始まったころから当地のサニ人の華やかな刺繍は有名であった。観光客相手に刺繍を売る商店が増えていったが、石林に店を構えるには相当な資金が必要であるほか、景区に「管理費」を支払う必要もあった。そうした資金を持たない彼女たちは、昆明へと「打工」に来ることになった。この辺で最初に昆明に来たのは50代の「阿姨」である。彼女は20年ほど前に来たという。昆明では家賃月80元(1120円)か、一日3元から5元の旅館に滞在している。昼間、茶花賓館の近くで刺繍をしていることもあれば、部屋で刺繍をしていることもある。いつ来るかは「不一定」であるという。彼女は自分が作った作品を個人で売るだけではなく、この近くの高級ホテル内にあるアンティークショップにも卸している。実は以前、彼女はこうした高級ホテルの前で刺繍を打っていたことがあった。高級ホテルに宿泊するアメリカ人や日本人は、かなりいい値段で刺繍を購入していた。しかし、ホテル内にあるアンティークショップの「老板」(経営者)たちはこの状況を好まず、彼女がホテルの前で店を開くと、警察やホテルの保安に通報するといった妨害をし始めたため、現在の茶花賓館の前に移ってきたのだという。(2004年5月、昆明の茶花賓館を訪れた知人の話によると、彼女たちの姿はなかった。)
 2004年1月24日は「春節」(旧正月)であった。この期間は警察も休みなので、比較的安心して店を開くことができたという。そして、1月28日ころから、「春節」で故郷へ帰っていた人たちが戻ってきて、茶花賓館の通りには刺繍売りだけではなく、果物(パイナップルやみかんなど)売りの屋台も並んだ。その中に「阿姨」の親戚の若い女性もいた。この女性はサニの民族衣装を着ている。「阿姨」は既に民族衣装を着るのをやめていた。その理由を、都会で民族衣装を着るのは「不安全」だから、と答えた。民族衣装は目立つので、悪い人の目に留まりやすいという。確かにバスなどで、民族衣装を着た人が乗ってくると、乗客の視線はそこに集中する。こうした人々は大きな荷物を抱えていることが多く、その分、スリに狙われやすいのかもしれない。そして、警察から逃げるときに民族衣装を着ていると動きにくいからでもある。
 「阿姨」に会うのはいつも夜だったが、一日だけ昼間に会うことができた。一日中、刺繍をしている彼女の目は充血し、指には針の跡が深く刻まれていた。「明日も来るの?」という質問に、彼女は「不一定」と答えた。彼女の話の中には「不一定」という語がよく使われた。この言葉は彼女の生活を象徴しているように感じられる。